教えてはだめ
幼児教育の方法として一般的な教育方法、特に「教える方法」を採りいれることは、非常に危険なことと考えます。
能力が育成されないだけでなく、心と能力を歪めてしまう可能性があります。
それは、泳げない人に、水泳を教えてもらうようなもので、溺れる方法を教えてもらうようなものです。
一つの知識、一つの技術も、 子ども自らが、感じ・考え・創造した結果として体得させることによって、 能力になるのです。
スミレのすべてを見せて感じさせる教育
本当の教育とは、スミレという花の名前を教えるだけでなく、 スミレの花の咲いているところへ行って、咲いているスミレの花の関係のすべて
を見せなくてはなりません。
咲いているスミレの花の関係のすべてとは、スミレの周りの草花の全てであり、 遠くに見える山々や空行く雲の形、スミレの花と見ている子どもの頬を同時になでる風の涼しさや、 一緒に、スミレを見た母の微笑でもあります。
季節・ひざしなどの中にスミレが咲いていなければなりません。
それによっては、スミレは、単なる知識ではなくなります。
「スミレ」は、他のものとの関連の中に咲き、他のものとともに刻み込まれた生きた知識となり、懐かしい母の思い出へと変貌するのです。
これが幼児教育の方法です。
物事を分断したり、知識を断片にしたりして、説明し教える愚かしさについては、
幾度となく述べることになりますが、すみれが持っている、今述べたような豊かな内容を捨て去って、
写貞や絵でその名前を教えることは、野草のガイドブックで、なかなか、写真に写っているものと、
実物が同じものであることを捜すのが困難だ、ということの経験があればわかるでしょう。
まして、目には見えない心や能力を、教え込むことによって育てられることなど、できるわけがないのです。
子どもが指導の中心。楽しい学びの中から高い能力が育ちます。
楽しくなければ集中できないし身に付かないということは ご存じですね。
知識と技術を一方的に教え込み、覚えられないと非難し、罪と罰を与えるという方法は、教えられる側に立ってみればわかりますように、楽しくも面白くもありません。学ぶ意欲が充満している幼児期に、知性を育みたいと脳が 渇望している幼児期に、それとは正反対の知識と技術の指導をされたら、楽しくはなく集中しないのも当燃です。
よく、幼児は、5~10分も集中しないとい われますが、ピグマリオンの指導時間は50分。 学ぶ楽しさに能力が育つ 嬉しさに子どもは時間を忘れて学びます。 能力の発達段階を熟知して創られたカリキュラムが、幼児を高い能力に誘います。
教える側と教えられる側という開係は、上下関係です。
上下関係という のは、物の位置関係ですから、人間関係ではないのですから、人間性は育ちません。
与えられたのは物の位置関係ですから、物の心しか育ちません。
それは、教える側が主人公で中心の方法です。だから教えられる側の子どもは楽しくないのです。
ピグマリオン学育は、学ぶ側が中心の方法です。それは、学ぶものと、 学びを見守って指導するものという人間関係が基本です。
人間開係の中で学ぶと、思いやりや優しさを感じながら学べるので、人間性も学べ、子どもは楽しいのです。楽しくなければ幼児教育ではありません。
能力を高めるのは、他人を幸せにするためです。
何のために能力を高めなければならないのでしょうか?
自分のためだと思っている大人は、自分のために勉強しなさい・能力を高めなさいと言いますが、 その励ましは、当を得ていません。
能力を高めるのは、他人のためです。
もし、自分の大切な人が苦しんで いるとき、悲しんでいるとき、 助けてあげる能力がなかったら辛いでしょ う。 苦しいでしょう。その時、能力があれば助けてあげることができます。
人間の能力は、社会性を帯びた優しく楽しく力強いものなのです。